小説【ラーメン屋旅館 ――女心――】

小説著者 【 末森拓夢 】


 裏口を開けて店内に入ると、いつもと同じ光景が目に飛び込んでくる。客の手垢でこげ茶色に染まったカウンター。壁に貼ったカレンダーはあと一枚を残すのみで、雪景色を描いてた。店内に入れた暖簾が、出番はまだかと、問いかけているようであった。

 豚骨と鶏がらの混じった匂いが微かに漂ってきた。着替える前にまず寸胴のふたを開けて中身を確認する。昨夜のうちに火を通した材料たちが、なべの底に眠るように沈んでいる。材料から染み出したエキスが、琥珀色に似たスープに作り上げている。この様子だと、ラーメン屋にとって命ともいえるスープはほど良い出来上がりだろう。

 慌てる必要はないのだが、いつものようにマッチを使ってコンロに火をつける。続けて隣の寸胴の上に伸びる、赤いマークが入った蛇口をひねってお湯を出し、こちらもコンロに火をつける。あとは両方の寸胴が、沸騰すればラーメンはできると言うことだ。

 ふと誰かの視線を感じて頭を上げる。探すまでもなく、かがみこんで手を振る、あきの姿が、入り口のガラスを通して見えた。時計を見るとまだ十時前だ、こんな時間に起きてるなんて珍しいと思う。普段なら寝ている時間のはずだ。

 カウンターをくぐって入り口に近づき、内側の鍵を回す。するとあきは、ガラッガラッと安物の音を立てながら引き戸を開ける。このとき、あきの後ろに見知らぬ女性がもうひとり、雨を気にしながら立っていることに気付いた。一目で分かる、あきと同じ職業だ。

 傘を畳みながら左手に持っていたビニール袋を私に押し付け、口を開くあき。
「おはよう、冨雄。まじめに仕込みをしてる?」

 いちいち人に言われなくても、これが私の人生だから、真剣なのは間違いない。それよりも気になるのは連れてきた女性だ。なぜに私の店に連れてくる必要がある。
「後ろにいる人、誰」
「あっと、新人さん。恵子と言うの」

 ふーん、と適当な相槌を返しながら、カウンターをくぐって厨房に戻る。手渡されたビニール袋を、流しの上に置き、包丁の跡が残るまな板を横にする。あきは振り返って、恵子と呼んだ女性に向かって、手招きをしてから私の目の前に座った。恵子は小さな会釈をしながら店内に入ると、私の視線を気にしながら、あきの右側に座った。
「そうそう、冨雄。それ、貸して」

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