そして、黒色のコートは彼がいつも自慢しているもので、色が少し落ちかけている。羽織るときに便利なように、袖が無く一枚の革で出来た、大きなものである。
爺さんは、私が声を掛ける間も無くしゃべりだした。
「さあ。お嬢さんも中に入りなさい。子どもさんがかわいそうじゃ」
軽く子供の頭を撫ぜ、店内に、入るように促した。
「良い良い。今日は私が、全部面倒を見てあげよう」
と私より先に店内に入っていった。この爺さんは、この店を開店した直後からのお客さんで、その頃私は、売り上げを上げるのに必死になっていて、いろいろ料理を出していた。今ではメニューを全てはずしたが、この老人のように時々訪れては、その頃の料理を注文する少しわがままな人がいた。もっともこの人たちのおかげで私の店はこうして存続しているのだから、感謝する事は有っても、来店するのを拒む気持ちは無い。
あわてて老人のあとを追い、店内に入る私の後ろから、その人も入ってきた。
私の友人大友は、居なくなっていた。彼が座っていた所に紙切れが置いてあって、
「御免」とだけ書かれていた。私が相手をしないから、裏口から帰ったのだろう。
私は、奥に子供用のイスが有るので、その人が連れている子供を、そこに座らせるようにその女性に言ってから、爺さんに、
「今日は特別な料理を用意しとるけ、ちょっと待ちんさい」
と言って、料理の準備に入った。
かねてから私は、いつもお客に対して提供している自分のラーメンについて、矛盾を感じ、考えていることがあった。
爺さんには、生ビールと、おでんのトーフとスジ肉を差し出した。この場合スジ肉というのは、時間稼ぎに利用できる。爺さんは、噛めないからだ。
その人には大きめの湯飲みにお茶を入れてあげ、
「手で持っていると温まるからどうぞ」